温楽空間 こころとからだを温める隠れ家サロンをオープンする予定です


by naonaogon
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<   2006年 05月 ( 15 )   > この月の画像一覧

運動会

長女の小学生になって初めての運動会。日曜日は早朝雨がやんだので開催することになり、だんなが場所とりにいったが、シーツを広げたあと、またザーっと雨が降り出した。せっかくシーツを敷いてきたのに、これじゃぁ、シーツの上に水溜りがたまっているよ、きっと。9時半ごろまで雨は降り続き、いつやむんだ?と気を揉んでいたが、遅れて10時開始予定ごろにはほぼ止んで、無事なんとか開催することができた。

学校へいってみると、案の定シーツはびしょぬれ。PTAのみなさんも砂場の砂をスコップですくってあちこち運んで埋めていた。グラウンドのコンディションが悪いということで、短距離走などはその日はやらないことになった。ちょっと残念。

運動会といえば、なんといっても一緒に食べるお弁当!学校によっては教室で子どもと別々に食べるところもあるらしいが、やはり見に来た保護者と一緒に食べるのがいい。作るのはものすごく大変だけど。以前の天気予報から運動会の実施は微妙だなぁ、と思ってたが、天気はよくなるような予報だったのでやはりお弁当の用意はしておいた。朝7時ごろの時点ではもうほぼお弁当はできあがっていたので、再び雨が降ってきて今更中止、といわれたらたまらんなぁ、と
思っていたが、開催することになってよかった。(長女が通っていない近くの小学校はこの日、運動会は中止になったそうだ。保育園で会ったお母さんが「F小はやったんでしょ、Fニはやらなかったのー」#やればよかったのに~、というような口ぶりだった。)シーツの上にやっと落ち着いてほっと一息ついたら、長男がさっそく、「ねぇ、おべんとうたべよ♪」だって。まだ早いってば。もう長男はお弁当が楽しみで楽しみでたまらないらしい。「○○のお弁当はどれ?」と自分のお弁当があるか、と聞く。今日はみんな一緒に食べるんだよと説明するとなんかわかったようなわからないような?わたしも朝が早かったので運動会がそろそろ始まる、というころにはちょっとお腹がすいてきたが、主役の長女より先に食べ始めるわけにはいかない。長男はそれからも口を開けば「おべんとうたべよ!!」とうるさかった。

小1が踊るダンスはかわいらしかった。わたしたちの席からは、あいにく長女が踊るところは見づらく、ちゃんと踊れているのか(^^;)、イマイチよく見えなかったけど。

六年生の組体操はなかなかよかった。自分が運動会でやったことを思い出した。

長女は白組だったが、残念なことに白組は弱かった。ほとんどの競技で負け。唯一白が勝ったのが、小1の玉入れ!実際、長女が玉を入れて貢献したのかどうかは、不明だけど(^^;)。

運動会を見てちょっと気になったのは、結構ぷくぷくした肥満体の子がちらほらいること。高学年になるほど人数は多い。わたしたちのころはクラスに一人か二人くらいだったかな。今はクラスに三~四人いる感じ。組体操のとき、そのぷくぷくした子たちは身体が重そうだった。動きも鈍い感じがした。バランスのとれた食事をしてないんじゃないかなーと心配になった。

来週は学校公開。ちょっと楽しみだけど、また月曜お休みで学童+弁当持参がめんどくさいなぁ。(土曜日登校するので月曜が休みになるのだ)で、もうすぐ6月、あっという間に夏休みになりそうだ。夏休みも恐怖(何がって、毎日弁当作りで疲れる~)だ。
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by naonaogon | 2006-05-30 11:46 | こどもたち

以前の上司の訃報

突然の訃報に驚いた。まだ58歳の若さだ。わたしが大卒で初めて就職した会社のときの上司だった。貿易の仕事のてほどきをうけ、中国への出張も何度か行かせてもらった。神戸から富山への国内出張も同行したことがある。本当にお世話になった方だ。だんなは会ってもらったことがあるが、子どもは会ってもらったことがない。ぜひとも会ってもらいたかった。残念でたまらない。以前、同じ部署だった後輩に連絡をとってみたが、なんと亡くなった前日、その後輩が結婚相手を紹介するために一緒に食事をしたという。その後輩の方がショックが大きかったと思うが、ほんとうにそんなのアリ?という感じだ。

「モリブー」とあだ名をつけられたのも上司だったっけ。上司のおかげで本当に楽しく仕事をさせてもらった。いろんなことを思い出す。引退したら奥さんといっしょに中国を旅行するのが夢や、と語っていた。なぜかその「夢」のことはずーっと前から印象に残っている。中国が好きな上司だった。中国との貿易の仕事をしている姿が本当に楽しそうだった。(実際はいろいろ大変なことも多かったけど)そして、自分の息子さんがかつての自分と同じような仕事(中国との貿易関係)をするようになったことをとても嬉しく思っているようだった。自分と同じことしよるわ、と照れくさそうに語っていた。

亡くなったなんてほんとうに信じられない。明るくて陽気な上司だったので、いなくなっちゃうと本当に寂しくなるなぁ。心からご冥福をお祈りしたいと思う。合掌。
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by naonaogon | 2006-05-29 17:27 | いのち

長女との交換日記

もうずっと前のことだが、長男の同じクラスのママ(パパもちらほらといた)たちと飲み会をしたときのこと。わたしと同じ3人のお子さんをもつお母さんが、うちは(小学生の)長女と交換日記してるの。と言っていた。仕事をしていると子どもとゆっくりお話する時間がなかなか持てないから、交換日記をしている、とのことだった。

その考え、もーらい!すぐさま、うちでも長女が小学生になったらしよう!と思った。

3人兄弟の一番上は、親にとっても初めての子どもということもあって、やはり何かと心配ごとも多いし、下の弟たちのことでいろいろと我慢もしなければならないことも多いので、気を配ってやる必要があるようだ。(もちろん、二番目、三番目だって、それぞれの立場でいろいろと苦労しているようだけど(^^;)

長女はまだあまり文字もすらすらとかけないので、絵をかいてもいいし、その他なにを書いてもいい、ということにして、5月ごろから開始。わたしは少しずつ会社でどんな仕事をしているのか、ということを日記に書いていくことにした。長女にも少しずつ、その日の楽しかったことやなぜ楽しかったのかなどを書いてね、などといって促している。これで少しは平日いっしょに過ごす時間が少ない分を補えるかな?
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by naonaogon | 2006-05-26 16:28 | こどもたち

児童連れ去り&殺人事件

最近また増えている児童連れ去りや殺人事件。被害者の親御さんの苦しみはいかばかりかと思うと、ほんとうにつらくなるし、犯人に対しては憤りを感じる。事件のほとんどが下校時におきている。うちの長女もほとんど一人で下校するので他人事ではない。知らない人にはついていったらアカンという最低限のことはよく言い聞かせているが、心配である。

事件はやはり児童が一人きりになって人通りが少ないところでおきている。今の通学路はおせじにも人通りが多いとはいえない。通学路ではない(学校からいったん駅の方へ行って帰る)道の方がだんぜん人通りが多い。だから長女が小学生になる前は、その道を通って帰るように何度も練習させていた。ところが、学童では通学路を通って帰るようにといわれている。何かあったときに「スポーツ安全保険」の保険が適用されないから、というのが理由の一つだ。今のところ、通学路を通って下校させているが、冬になって下校時間が暗くなってきたら駅まわりの道を通って帰らせようと、だんなと話しあった。学校や学童からはあくまでも通学路を通るように、と言われているが、通学路を通るという規則を守らなくともやはり人通りが多い道を通って帰る方が賢明な気がする。

5/24起きた仙台の女児連れ去り事件は連れ去られようとした女児と一緒に下校していた小2の女児が携帯電話を使って写真を撮ったことが手がかりになって容疑者が逮捕されている。小学生(のうちの長女)に携帯電話なんてもたせられない、と思っていたが、携帯電話をもたせることも悪いことばかりじゃない、と思った。とはいっても、小学校では児童に携帯電話を持たせることは禁止されていなかったっけな?そんな規則はないのかな?うちの小学校は。
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by naonaogon | 2006-05-25 13:44 | こどもたち

片付けられない長女

小学生1年になった長女のためには学習机は買ってやっていない。が、教科書などその他もろもろの持ち物を置く自分専用の場所をこしらえた。そこにいろんなものを整理して置きなさい、と言ってあるのだが、どうも長女は片付けが下手くそでいつ見ても、ぐしゃぐしゃ。教科書などの学校の持ち物だけでなく、おもちゃの一部や彼女が必要と主張する、大人にとってはゴミに見えるモノが無造作に置かれているので余計に片付かない。いらないものは捨てて、いるものだけにして整理整頓しなさい、といっても一向に整理する気配なし。まったく、女の子なのにしょうがないなぁ。よく学校でも男子生徒で机の中がぐしゃぐしゃの子がクラスに1人や2人はいたけど、長女もそんな1人にはなってないだろうか。オモチャ箱は別にあるのだが、その箱の中身もぐちゃぐちゃだ。たまにわたしが見かねて整理をしてやることがあるが、それでも片付くのは一時だけだ。子どもは2~3歳のときに、大人にとってはガラクタのように見えるものを集めて大事にする習性があるらしいが、長女はもう6歳にもなっているというのに、そういうことをしているのだろうか。

いや、人間、誰しも自分にとって何か大切なものがあるだろうが(それが他人にとってまったくガラクタのように見えるものでも)、きちんと持ち物を整理するのとそういうものを大事にとっておく、というのはまた別の話だ。長女はそろそろきちんと整理できるようになってほしいものだと思うが、どうしたものか。もっと整理しやすいよう何か対策をとるべきなのか。自分が小学生1年のころどれくらい整理できていたかなんて、忘れてしまったので、もしかしたら自分のことを棚にあげているのかもしれない。長女の整理能力が普通なのか、イマイチわからないけど、それにしてももうちょっとなんとかならんかなぁ、と思ってしまう。(苦笑)
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by naonaogon | 2006-05-24 16:05 | こどもたち

ぱいぱい星人の二男

二男はおっぱいが好きである。もうほとんど出ていないので、「乳」を飲んでいるわけではなく、おっぱいを吸って「安らぎ」を得ているのだと思う。寝るときは必ずおっぱいを吸いながら寝るし、朝、起きるとおっぱい、朝食を食べて一段落するとおっぱい、兄弟でケンカをして泣かされたりするとおっぱい、ちょっと手持ち無沙汰だとおっぱい、てな具合だ。長女のときは、早々と出なくなってしまってプイっという感じだったし、長男のときは長女よりも長く出ていたが、出が悪くなってくると、もういらない、と見向きもしなくなった。いちばんしつこい(^^;)のは二男である。おかげでわたしのおっぱいはぺちゃんこだ。ま、それはいいとして(関係ないか)、本人の気がすむまで吸わせてやろうと思っている。ただ、片方のおっぱいを吸いながら、もう片方のおっぱいを二男が手でさわるのだが(意識してか、意識しないでかわからんが)、それがちょっとスケベな感じ(*^^*)がして、コイツはもうっ!と思ってしまう。
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by naonaogon | 2006-05-24 15:35 | こどもたち

結局、気になるのだ。

今年のゴールデンウィークは、だんなのお父さんが勤めていた会社の業界の保養所(伊豆高原)へ2泊3日でだんなのお兄さん夫婦と両親と総勢9人で出かけた。長男は電車に乗れるので、もうおおはしゃぎ。自分が電車に乗ることも嬉しいらしいが、電車から見える他の電車を見つけては、「あ!新幹線だよ」とか「山の手線だよ!」と最初から興奮ぎみ。(まだ今でも電車の本を見ながら、「踊り子乗ったんだよね」、とか帰りは「スーパービュー踊り子乗ったんだよね!」なんて嬉しそうに話す)お兄さん夫婦と東京駅で会って、一緒の電車へ乗り込んだ。お兄さんの奥さんは幼稚園の先生をしていたものだから、こどもたちと一緒に遊ぶのがとても上手。長女はCさん、いっしょに遊ぼ!などといってべったりだ。

だんなの両親だけ東京ではなく別の駅から乗ってくることになっていたので、席が離れていた。両親の乗車駅に着いて、電車に乗ってくるとすぐ、義父がわたしたちの席のほうへやってきた。義父はもちろん孫といっしょにいたいので「席かわろうか(*^^*)」などといっていたが、だんなもこのときをチャンスとばかり(?)、こどもたちを両親や兄貴たちに任せて、われわれ夫婦は両親の席でゆっくり寝るとするか、なんて冗談半分に言うと、しばらくして義母もやってきて、「二人になりたい、というから変わりますよ」なんていうので、無事、二人で別席へと移動。

1歳の二男はわたしと離れて大丈夫かな、とちょっと気にはなったが、まぁ、義姉さんがいるから大丈夫でしょ、と安心していた。(二男は義姉さんの腕のなかでスヤスヤ寝ていたそうだ、さすが、二男。いや、さすがCさん、か。)別席へ来て、はぁ~、やれやれ、と一息ついたけど、結局、だんなも二男は大丈夫かな、とか長男はどうしてるかな、などやっぱり気になるようす。こどもを任せて我々だけゆっくりと、なーんてのは、たまの気分転換に必要かもしれないけど、でも預けている間はやっぱり子どものことはどうしてるかなー、と気になるモンで、心底ゆっくり、なんてのはもう少し子どもが大きくなってからでないとできないかもなーと思ったりした。
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by naonaogon | 2006-05-23 16:53 | 外出
りんご病か、手足口病か、って単に家で騒いでいただけなのだが、発疹があっても登校できるか、できないか、というのは大きな違いなのだ!

4月からちょこちょこと子どもたちが発熱だの、伝染性の病気だの、と次々とかかってなんだか落ち着いて仕事に集中できない感じがしている。発熱時、保育園に登園できないとき&仕事を休めないときは、ファミリーサポートの協力会員さんにお世話になっているので、いちおう仕事をあまり休まずにすんでいるのだが、それでも朝、病院へ連れていってからファミサポさんにお願いしたりすることが多いので、いつも走りまわっている感じがする。ファミサポさんで預かってもらうとき、お昼ごはんを用意してもらうのは大変だと思って、こちらでお弁当などを用意すると、朝はもっと忙しくなる。

しかもお弁当を作っていることが朝、長男にばれると、長男は自分もお弁当がいい、といって大騒ぎをする。まぁ、長男の場合は、朝食をお弁当箱に入れる形にすれば、いちおうそれで納得はするのだが。(それでも朝から弁当箱におにぎりを作ったりして入れるのは面倒なのだ。二男は少し自分で食べられるようになったが、食べるのを見てやったり手伝ってやったりしないといけないから、時間もかかるし)今日もお弁当箱におにぎりとおかずをいれてくれ、と訴えた。お弁当箱に入れないと彼は気がすまない、つまりごはんを食べようとしないのだ。ったく、朝から面倒くさいなぁ。(^^;)

今日、お弁当を作っていた、というのは、長女のためだ。長女は先週の金曜から発疹が出ていた。そのとき、弟たちもりんご病にかかったばかりだったし、わたしまでもりんご病だと診断されていたので、長女もぜったいりんご病だ!と信じて疑わなかった。たまたま金曜日は開校記念日で学校は休みだったが、学童には行かせた。学童の連絡帳には「発疹が出ているが、これはりんご病なので、大丈夫です」というようなことを書いておいた。その日、学童から、「長女ちゃん、ホントに大丈夫なんですか?集団生活なもんですから、いちおう確認しておかないと」と連絡があったが、大丈夫です、といって通常通りでお願いした。(実際、学童で熱をはかったらしいが、熱もなかった。)

月曜くらいには発疹は少し薄くなって学校にも普通通りに行けるだろう、と思っていた。でも日曜の段階でもあまり薄くなる気配もなかったので、本当にりんご病なのか、ちょっと心配になり、ぜったいりんご病だ!という自信がなくなってきた。他に発疹が出る病気といえば…、医者ではないからとりあえず知っているものしか思い浮かばないけど、そういえば、「手足口病」というのがあったか、と思い出した。松田先生の『育児の百科』やインターネットで調べるとそれは口内炎などもできるらしいことが判明。さっそく長女の口の中を診察してみた。すると、なんか口内炎らしきものがあるような気がした。もしかして??イヤな予感。手足口病なら口内炎が治るまで登校できない。兄弟にも移る可能性もあるし、ますますイヤな予感だ。

で、日曜の休日診察で診てもらうべきか、と思ったが、どうやら手足口病は抗生剤など薬がないようなので、診てもらったところで薬はないのだし、高い熱も出てないし、診てもらって手足口病だと診断されて月曜に学校へ行けなくなるとそれも困るなぁ、とか医者に行くのもあまり時間の余裕もないし、などと思って(要するに面倒くさい、ということか。子どもが病気かもしれない、というのに、そんなことではイカンのだが、最近の医者通い(なにも最近に始まったことではないけど)にイヤ気がさしてきていたわれわれ親にとっては、さして重病そうでもない子どもを病院へ連れていくのは、極力避けたいと思っているのだ。)やめることにした。月曜には少しましになっているだろう、とわずかながらの希望をもっていた。

ところが、月曜の朝になってみても発疹はそれほど薄くなっていなかった。ガーン。これでは、学校で先生に何か言われるかもしれないなぁ。たとえば、長女ちゃん、発疹がひどいみたいなので、いちど医者で診てもらったほうがいいのではないでしょうか、とかなんとか。あーあ、医者に診てもらうのを面倒くさがってやめた罰かなぁ(^^;)とも思いながら、結局、月曜の朝一番に小児科で診てもらうことにした。当然、仕事はまたまた遅刻。今月、何回病院へ寄るからといって遅刻しただろう。もう上司もあきれているかもしれないけど、仕方ない。もし、手足口病などといわれて、登校できなくなったときのことを考えて、お弁当を作り、ひとりで留守番させるよう言い聞かせた。ファミサポさんにお願いしてもいいのだが、今月は何度もお願いして結構お金もかかっているので、経費節減(?)のため、そして、長女ならもうそろそろ一人で留守番できるんじゃないか、と思い、ひとり留守番を選択。長女にもし学校へいってはいけないといわれたら、ひとりで留守番してね、本読んだり、眠くなったら寝てもいいし、お昼はお弁当食べてね。などとお話すると、最初は、えーっ!と少しイヤな顔をしたが、だんだんそれでもいいかー、と思えたようで、嬉しそうな顔に変わっていった。

で、小児科で診てもらった結果はというと、結局りんご病だった!よかった。手足口病などというやっかいな病気でなくて。長女はひとりで留守番をする気マンマンだったらしく、学校へ行けるとなると、逆に、「えーっ!行きたくない!」とまで言い出した。おいおい。ひとりお留守番はまた次回。(いつになるかわからんが)めでたく登校許可の証明書をいただいて、ほっとした。

それから、それから。小児科へ学校の荷物をもっていっていなかったので、いったん家に帰ってランドセルを取りに行き、長女と初めて一緒につきそい登校。(遅刻した場合は、保護者が付き添って登校しなければならない、という規則がある)門をくぐってから教室へ行くまで、グラウンドを半周くらいするような道のりだが、途中に朝顔が並んでいたので、長女の植木鉢をちらっと見ていく。出てる、出てる、二葉が。無事に花が咲くまで育ちますように。教室へ向かうと、あれ?教室に誰もいない。他のクラスはというと、生徒は体操服を着て授業をうけている。なんで2組だけいないのだ?外で体育?いや、グラウンドを見たときは1年生らしき生徒はいなかった。体育館か?とにかく外へもう一度出て探そうと、長女に早く荷物をおいて来なさい、といったが、長女は着替えるといって、体操服に着替え始めた。もう、こっちは早く仕事に行かねばならないというのに…。ひとり、階段の方へ行ってみたが、まだ長女は来ない。また教室へ戻って、長女が着替え終わるのを待っていると、クラスメートが教室へ戻ってきた。

すかさず、みんなどこにいるの?と聞いてみる。すると図書室にいると思うよ、と教えてくれた。また図書室いくの?と聞くと、もう終わったから、という。終わったって、どういうことだぁ?と思いながら、長女に図書室はどこ?と聞くと、うーん、わかんなーい。と頼りない答え。ったく、しょうがないなぁ。階段を下りたり上ったりうろうろしていると、またクラスメートを発見!自分の腕をさわって「ドクドクドク!」といっているので、あ、そうか、心電図でもとっているのか、図書室で。とピンとくる。クラスメートが来る方へたどってみると、すぐ図書室についた。入り口ですわっている男の受付の人に○○さんですか?と名前を聞かれた。担任の先生は中ですか?と聞いて、ちょっと呼んでもらう。やっと、先生に会えた。事情を説明してそこで長女とさよなら。わたしはその足で仕事へ向かった。やれやれ。これで当分はこどもたちも体調をくずさないことを祈るばかりだ。
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by naonaogon | 2006-05-23 13:52 | こどもたち
4月から小学生になった長女だが、今のところ、なんとか学校に楽しく通っているようす。

まぁ、学校はいろいろと新しいことが始まるという「目新しさ」もあって、毎日が新鮮で楽しく過ごせるだろうからそれほどは心配していなかったが、学童の方がむしろ心配だった。学童は、保育園のように一人一人を丁寧に目をかけてもらえない、というようなことを聞いていたし、上級生などもいるなかで、ちょっと引っ込み思案の彼女はうまく馴染めるのだろうか、などという心配もあった。最初は、上級生に「ちびまるこちゃん」などといわれて、Dくん、イヤだ!などといっていた。べつに陰湿ないじめでもなさそうなので、親のわたしはほとんど気にしていなかったが、いちおう、連絡帳でスタッフにお知らせをしてからは、あまりいわれなくなったようで、その後も同級生や上級生と楽しくすごしているようだ。こどものことだから、慣れるのは比較的早いだろう、と思っていた。今ではちょっと別の心配もあったりして…。慣れてきたからか、学童から早く帰りたいとたまに言うようになった。早く帰るということは、自分一人の時間がたくさんできる、ということだ。まだそれは小学一年生の彼女に自由な時間をたっぷり与えるのはちょっと危険かと思い、学童育成時間のぎりぎり最終時間6時まで残らせることにしている。

4月いっぱいはファミリーサポートの方に協力してもらって迎えにいってもらっていたが、5月からはいよいよ一人で帰ることに。4月中にファミサポの方の都合が急に悪くなって、一度一人で帰ったことがいい練習になったようだ。5月からの一人帰りはなかなか順調だ。テレビが好きなので、一人で家で留守番をすると必ずテレビをつけてボケーっとみているだろうと思っていたが、意外とそうではない。まぁ、そうならないようにと、帰ってきてから「やるべきこと」を順番に紙に書いて見えるところに貼っておくことにした。今のところいちおう、その「やるべきこと」をきちんとしているようだ。(なかには1つ2つ忘れることもあるけど)で、そのやるべきことが終わったら好きなことをしてていいよ、と言ってある。でもこれまでわたしが家に帰ってきてテレビを見ていたことはなく、お絵かきしたり、本を読んだりしていることが多い。おー、なかなか立派立派!
帰るコールをすると、これがまたかわいい声でしゃべるのだ(*^^*)こどもの声は電話を通すとどうも幼く聞こえるのだろうか、なんだかちょっと頼りなげな声に聞こえるが、でもきちんと待っていてくれるのでまた、そこもかわいい。
でも、帰ってきて、急いでごはんの支度をして、「ごはんだよ~!」と呼んでも「えー、今、××しているのにぃ~」とかいってなかなか食卓までやってこなかったりすると、「はやく食べなさい!(-_-#)」とついつい声を荒げて叱ってしまったり。ついさっきまで長女はなんて愛しくてかわいいのかしら、と思っていたのがウソのようだ。ほんとうは叱りたくないけど、叱らないといけない時もたくさんあって、なかなか思い通りにいかないもんだ、とつくづく思うのだった。
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by naonaogon | 2006-05-17 17:48 | こどもたち
今日はいよいよ大学の先生と会う日だ。先生へのお土産は何がいいかと悩んだが、さぬきうどんと羊羹にした。会社の近くに愛媛県のアンテナショップがあることや、麺類なら麺をよく食べる太原の先生なら好きだろう、と思ったからだ。記念に残るものがいいかとも思ったが、何をプレゼントすれば先生が喜ぶか、正直わからなかったので、食べ物にした。食べ物は食べてしまえばなくなってしまうけど、日本の味を食べてもらうのはなかなかいいんじゃないか、と思ったのだ。

朝食は太原のホテルでとった。ホテルの朝食は北京とも似たりよったりだったが、北京よりもおいしいかも、とだんな談。おなかいっぱい食べてからしばし休憩。フロントで山西大学へ行くときのバスの路線を聞いてみる。乗換が必要らしい。余裕をもっていかないと間に合わないかも?と思いながらも、なんだかんだやっているうち、もう出発予定時間を過ぎていた。バスだけで行ったら間に合わないかも、と思ったがとりあえず、バスに乗ることにする。無事に乗換のバス停まで到着。そこからは本当に時間がなかったので、タクシーに乗った。山西大学の北門へ着くと、B先生の懐かしい顔が見えてきた。先生はちっともかわっていない。15年!も経ったというのに。(昔から老けていた(失礼!)からか?)まず、先生の家へ向かった。さすが、大学の先生宅だけあって、たくさんの書物がずら~っと棚に並んでいる。畳の部屋はないのは当たり前だが、日本と同じく靴を脱いで中へ入るのだ。中ではスリッパを着用する。床もピカピカだ。先生は離婚して、前の奥さんが前住んでいた自宅に住んでいるので、もう広い家は与えてもらえない、といっていた。先生は再婚したのだが、子どもはもう独立している。先生は家が狭くてねぇ、といっていたが、二人で住むには十分の広さだと感じた。先生はわたしたちのために、飴やイチゴを用意してくれていた。子どもたちが遠慮なしに食べている。だんなは少したどたどしい(ま、そういうわたしもなかなか思ったことがすんなり言えないけど)が、中国語で話して、ご主人がこんなに話せるとは思っていなかった!と褒められる。長女は絵本が見たい!などというので、B先生の奥さん(先生の奥さんは、小学校の先生をしているということだ)が気をつかって、1話(1冊)で完結している連環画(漫画)をどうぞ、といってお土産にくださった。それからそろそろごはんでも食べにいきましょう、ということでレストランへ。

レストランではわが母校・姫路獨協大学で教鞭をとっていたこともあるD先生(わたしは残念ながら教えてもらったことはないが)が先に行って料理を注文して待っているという。なんでもお会計はD先生がするんだ、といって譲らないから先に行って待っているらしいのだ。お会計をD先生がするとかB先生がするとかいってどちらもなかなか譲らなかったそうだ。ごちそうさまです、D先生。料理は本当に豪華だった。魚のスープや、ハンバーグに煮たような肉団子があったり、あえものもあったり、水餃子もあったり。ところがよりによって子どもたちはあまり食べず、長男などは甘えたいこともあったのか、機嫌が悪くなってしまって、大変だった。だから先生たちと満足にゆっくりお話も出来ない状態で、少し残念だった。D先生はわたしの出身大学のI先生と翻訳を協力してやっているそうだ。この翻訳はもう長い間続いているらしい。日本へ帰ったらI先生によろしく、といわれた。最後に記念撮影をしてお別れ。でもこの写真、逆光であまりうまく撮れていなかった。あ~あ。

先生たちとお別れして、少し山西大学をぶらぶらして帰った。その日、夜行列車に乗るので、もうホテルはチェックアウトをしてしまっており、部屋にも戻れないし、少し時間があったからだ。そうそう、わたしが昔住んでいた留学生楼はまだあった。遠くから見ただけなので、中はどんなふうになっているのかわからなかったが、もちろん昔より今のほうが設備がよくなっているとのことだ。懐かしかった。あのときの留学生たちは皆、どうしているのだろう。ほとんど連絡が途絶えてしまった。訪ねたB先生もわたし以外は音信不通だといっていた。

ホテルへもどって、ロビーでしばし休憩する。そして、少し早めに夕食をとろうと、レストランへ向かった。お店の電気が点いてなかった(節約のため?)のでやってないのかと思ったが、やっているというので、入ることにした。若い店員が、こどもたちのことをかわいい、かわいいといってかわいがってくれた。数枚トランプをもらったり、長男は抱っこされて連れていかれたりしていた。それから比較的ゆっくり食事をして、満腹になって店を出てホテルへもどった。まもなくしてタクシーで駅へ向かう。いよいよ夜行列車だ。列車にのれば、もうほとんど寝るだけ、なのだが、お湯を調達したり、トイレへいったり歯磨きしたりして用事をすませる。そろそろ改札というときには、大勢が並んだ。改札をぬけて、ホームへ向かう。列車に太原→北京の札がかかっているところで、写真をパチリ。切符をみせて、アルミ(だったか?)の札にとりかえてもらって車内へ。軟臥なのでさすがにきれいだった。でもベッドは狭かった。こども一人ならまぁ十分な大きさだったが、ベッドは全部で4つなので、わたしは二男と二人で寝なければならない。寝返りができないくらいで、寝返りするとおっこちそうでこわかった。こどもはやはりおっこちると危険なので下に寝かせ、我々親が上に寝た。といっても二男を上に寝かせるのは危ないが、下にどちらかのこどもと寝かせると必ずおっこちそうなので、それも危険だ。なのでほとんどわたしは身動きできず、二男を落とさないよう気をつけながら寝ることになった。下の子どものために、念のため、途中でおちてもいいよう、床には新聞紙を敷いておく。列車に乗ってから荷物を整理してまもなくして寝る。狭いのでなかなか寝付けなかった。二男ものどがかわいていたらしく、水をくれ、くれ、といってなかなか寝付いてくれなかった。

あまり熟睡できずに朝になった。二男はまだグースカ寝ている。わたしはしんどいながらも起きて身支度。北京到着まで少しの間、外の景色を見ながら過ごす。今度は夜行じゃなくて昼間の列車に乗りたいなぁ、とふとだんながいう。今度か、今度はいつになるだろう?

北京到着。朝、8時ごろだったか。歩いてホテルへ向かう。とりあえず、チェックインを希望するが、前と同じ部屋は空いておらず、別の部屋でもいいかと聞かれる。部屋を見せてもらったが、キングサイズベッドがあるだけで、あとはエキストラなので、別の部屋を待つことにした。とりあえず、荷物は預けて、朝食を食べに行く。

その日の予定はどうしようか、とまだ決めていなかったが、だんなは、これまで親のわれわれにつきあってくれたから、今日はこどもたちが楽しめるようなところへ連れて行ってやろうか、と考えていたらしく、行き先は北京海洋博物館に決定した。タクシーで直行。ちょうどイルカのショーが始まるというので、急ぐ。ここの入館料はけっこう高かった。一人50元以上したんだっけ。こどもはまたもや120センチ以下なら無料。なので長女は無料だった。

イルカのショーは日本でよくあるのと変わらなかった。こどもたちも楽しんでいたようだ。ショーがおわって、お魚たちをひととおり見た。最後の方では、こどもたちはあまりお魚には興味がなくなって飽きてきたようだった。

昼食をとってからホテルへ戻る。部屋は予約していたVIPの部屋がなく、ワンランク下になってしまった。ちょっと納得いかなかったけど、あと1泊だし、仕方ないか、と思ってあきらめた。夜は王府井へ繰り出した。最後の晩餐にふさわしいおいしいところへ、と思って探したが、最後に限って、変なレストランへ入ってしまい、ちょっと残念だった。(でも、なぜかこういうところはこどもたちのウケがいいようで、こどもたちはおいしいおいしい、といって食べていた)その日、疲れていたので、ぐっすりだった。

翌朝、ちょっと遅めに起きる。今日はもう日本へ帰る日。1週間たっぷり遊んだ気がするが、過ぎてみるとやっぱりあっという間だった。家族で海外旅行なんて、当分もうこられないな、と思う。当分どころか、これで最初で最後か?とも思いながら帰り支度をする。二男はあまり覚えていないかもしれないが、長女と長男はいい思い出になっただろうと思う。バスやタクシー、地下鉄にもたくさん乗った。長男は10番のバスを覚えていて、いまだにバスが来ると10番じゃないの?というようなことを言ったりする。また、長男は家にあるだんなの世界の車窓から 中国鉄道の旅を毎日のように見ているが、万里の長城の映像がうつると、「万里の長城いったんだよねっ!」と嬉しそうにいうし、長女もテレビのニュースなんかで中国の天安門の映像が流れると、あ、毛澤東だ!なんてこともいったりする。とにかく中国に対してはいい印象が残ったらしい。まぁ、親が中国に対して悪い印象をもっていないのだから、こどももそう悪い印象は抱かないだろうが、大きくなっても旅行のことは、忘れないでいてほしいなぁ、と思う。
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by naonaogon | 2006-05-16 17:43 | 中国china